境内のある現在地は、前面に天竜川、左方に諏訪湖、その向こうに八ヶ岳連峰を望む景勝の地であり、往古より山ノ神信仰の盛んな所であった。
明治十八年(1885年)、地元有志が、この山の祠のそばに不動尊石像を奉ったのが、当地の不動信仰の発祥とされる。明治二十一年、岡谷下町の、林源三郎、小林森太郎、小口百太郎氏らは埼玉県本庄から木造の本尊不動明王を迎え、成田山新勝寺で開眼供養した。
それから和田峠を、徒歩で山越えして、現在地に建てた不動堂に本尊を安置し、商売繁盛・家内安全・諸厄消除・所願成就のお山とした。
不動堂では、岡谷下町伊勢講、山ノ神役員らにより祭事が営まれ、照光寺第二十六世の宮坂宥詠が先達主管となり、観全梶芳老僧が堂守を務めた。
明治三十四年に、最上段の地に奥の院(大日堂、太子堂)を建て、同時に三十六童子像(石像)を、安置した。
例祭などは下町お伊勢講により行われ、さらに山の神役員に引き継がれた。観全梶芳が堂主となって信徒との結びつきも深まり、展望の良い場所である事も手伝って参詣人がふえ、同三十九年には、伏見宮貞愛親王もお立ち寄りになり昼食をとられた。
大正五年、立太子記念に全山の公園化が地元で計画され、丘を平らに
し、道路を作り、桜を植え、翌年五月十八日、二千八百坪を、成田公園と命名し開園した。
このころから製糸工場は隆盛期を迎え、毎月二十八日の縁日を中心にお山は雑踏を極め、サーカスの興行もあり、動物園を経営する人が出るほどだった。
しかし、同十一年四月二十二日、奥の院を除き全焼の災禍にあう。提灯が原因とされる。本尊だけは御嶽山行者先達でもあった小口百太郎氏によって避難する事ができた。
大正十二年十一月十九日、照光寺第二十七世に晋山した宮坂宥三住職が先達主管に就任。大正十四年五月十五日、再建落慶式が営まれた。
同時に三十六童子と八大童子石像が、本堂裏手斜面に火山岩を配して庭園式に整備安置された(庭師竹柏園)。
このときの資金寄付者は境内の「再建寄付芳名石碑」及び参堂に並ぶ金額・氏名を刻んだ一人一人の石碑によって残されている。
この頃、堂守藤沢麒麟司行者による朝夕の鐘の音、読経の音は名物ともなり、二十八日の月例祭には先達主管である照光寺住職の宮坂宥三師による大護摩法要が行われ、五色の際旗が幾重もなびいた。
昭和になって成田公園は岡谷市に移管、成田山千二百八十坪は独立して運営されることになった。
昭和二十八年、宗教法人「成田山岡谷教会」として登記され、宗教を超越した岡谷全体の成田山として、市長(林健太郎)が責任役員に選ばれた。
昭和二十九年、本山である成田山新勝寺の大僧正を招き、出開帳が行われた。
ところが、昭和三十六年四月二日、客殿からの出火で再び本堂もろとも焼失。幸い奥の院はこの火災から免れたが、明治以来の不動明王、それに盗難防止に、本堂に移してあった奥の院の大日如来、大師像をも灰にしてしまった。
客殿(八十坪)は間もなく再興、塩尻の永福寺から借り受けた不動明王を仮奉安し、客殿の一室を仮本堂とした。
又同寺より事務長を迎えた。
同師は郷福寺(塩尻市広丘郷原)住職として昭和五十年に転出するまで務めた。
昭和五十年八月に宥三主管が遷化。照光寺二十八世に就任した宥勝師が兼務主管となり、五十年九月十二日に入山式が行われた。
同時に、師弟関係にある塩尻市常光寺中島宥仙住職の法資、宥性師(大正大学卒)が事務長に就任した。
昭和四十五年、照光寺で信徒総会が開かれて本堂再建を決議し、全市的な規模で建設委員が決まった。総額千五百万円にて、大隈流の宮大工・石田房茂氏が請け負い、一番弟子の小松金治氏が腕をふるい、三 十八坪の本堂に生まれ変わった。翌年四月二十八日、新本堂の再建落慶式が催された。
昭和五十三年十月には、本尊台座、佛天蓋、鐘版、手洗石新設など内
外整備も行われた。
なお、二度目の火災で本尊を失った後の「本尊御下付願」は日時を要した。再建委員・小林公明氏の実弟金市氏が千葉で病院を経営し、同県教育委員長の要職にあったことと、同氏の友人、師岡市郎左衛門氏が成田市の講元であったことから、諸岡氏を通じて新勝寺貫主との接触の道が開けた。
再建委員らの参詣、折衝が繰り返され、最後は明治天皇がお休みになったという菊の紋入りの間で貫主の歓待を受けるという本山最高のもてなしを得たとのことである。こうして新勝寺にて約一ヶ月間、開眼供養、入魂祈願が為された後、小林公明、林鶴亀の両氏が拝受し帰り、昭和四十六年四月二十七日照光寺にいったん安置された。
本堂落慶式の翌二十八日、煙火を合図に林達郎委員長を先頭に稗貫照澄僧上らが行列を整え、木の香におう本堂に着いた。
その後、成田山岡谷教会は、成田山岡谷講という信徒組織を中心とし
て発展してきた。
二月三日の節分祭、四月二十九日の春季例大祭、十月二十八日の秋季例大祭、年に一度の本山団体参拝が主たる年間行事である。
昭和六十年(1985年)、開山百年を記念して、寺名を成田山岡谷教会より、成田山蓮華不動院と改号した。照光寺副住職(当時)の宮坂宥洪が中島宥性師の退任にともない実務を担当する事となった。
昭和六十二年六月二十八日、宮坂宥洪師が同院の初代住職に就任。晋山式の行列は、講元の山岸卓三氏の自宅から成田町の旧道を通って同院まで練り歩く稚児、御詠歌講を筆頭に数百メートルも続く盛大なものであった。
平成元年四月、岡谷成田山蓮華不動院奉賛会が組織された。仕事一筋に生き、町の発展と子孫の繁栄を願い、炎のように熱く尊い信仰を捧げた先人たちの思いを受け継ごうと、宗派を超えて全市的に呼びか
け、信徒の拡大を図った。
奉賛会発足とともに、宥洪山主は連日の護摩修行を開始した。毎日午後五時半より山主一人による年中無休の護摩修行は、平成六年まで続いた。以来現在に至るまで、毎週日曜日に午後五時半より護摩修行(並びに法話)が行われている。
奉賛会が発足するや、その年のうちに常夜灯(近衛灯篭)が合計七十七基も寄進され、石段参道両脇に立ち並び、市の新名所が誕生した。
同年十月、山主、焼八千枚護摩秘法を行じ万民の息災を祈願する。
平成二年、山主、岡谷成田山興隆の発願をするや、たちまちに全市はもとより、近隣の市町村、県内外からも多数の浄財寄進の申し出があり、報恩の大聖業は予想をはるかに超えた驚異的な進展を見せ、同年内に山上の奥の院大日堂の再建が実現した。あわせて大日如来、両祖 大師像を新しく迎え、奉安した。
平成三年、参詣者の急増に対応すべく、本堂に接する脇堂を建立。本堂前の境内を舗装した。加えて、恵那産の特注(田口石材)の御影石にて、特大、大、中、小の玉垣を造立。玉垣には篤信者の名を刻して
参道から境内一円に建立した。その数は四百五基に及ぶ。
奥の院に成田山蓮華不動院の沿革碑を建立し、山容は一変した。
平成十二年、参道脇を整地して、駐車場を造成するなど一層の山容整備が進んだ。
年中行事は、毎月二十八日の縁日のほか、二年詣り(除夜の鐘)護摩、元朝護摩、初不動、節分祭、春秋の例大祭、納め不動と筆供養祭など。毎週日曜日には護摩法要と山主法話があり、参詣者がたえない。また、寺報「不動心」を年一回発行している。
私たちは誰しも幸せに生きようとし、その願いが叶うよう日々努力しています。
しかし、願いは必ずしも満たされるとは限りません。
そのとき人間の欲求は、最後の救いの道として「祈り」に変わっていきます。
「護摩」という言葉は、古代インドの宗教儀式で「火の中 に供物を投じて祈る」という意味の「ホーマ」に由来します。これを漢字で「護摩」と音写したものです。
成田山の護摩は、不動明王をご本尊とし、その前に壇を設け、様々な供物を捧げ、護摩木という特別な薪を焚いてご本尊に祈る弘法大師様によって伝えられた真言密教究極の秘法です。
御護摩の火は不動明王の智慧を象徴し、薪は煩悩を表しています。御護摩の儀式を通じ、不動明王の智慧の炎で煩悩である薪を焼きつくし、人々の願いが清浄な願いとして高まり成就する事を祈ります。
成田山ではすべての人々の所願心願の成就圓満を祈り、日頃より護摩法要を行っております。参拝・参列すべて自由です。不動明王の威神力により、願うところ必ずや成就することでしょう。
・毎週日曜日午後五時半より護摩修行
・毎月28日午後二時より縁日護摩祈祷
・毎年2月3日頃 節分祭、4月春季例大祭、10月秋季例大祭
各種祈願、厄除け、車祈祷、随時承っております。
お不動様は、私たちすべての願いを叶えようとの堅いご誓願を現されております。この大慈悲の御誓願を信じ、ご真言を唱え、心からなるお祈りを捧げるところ、必ずお不動様のご利益をいただくことができます。
のーまく さんまんだー ばーざらだん せんだー
まーかろしゃだー そわたや うんたらたー かんまん
意訳
不動明王の慈悲をもって このご真言を唱うれば
加持観応 一切の願いを 成就せしめたまうなり
心静かに合掌し(身)
御真言を唱え(口)
不動明王のお姿を心に念ずる(意)
身(しん)、口(く)、意(い)、すなわち「からだ」と「言葉」と「心」の全身全霊で祈りを捧げる事で必ずやお不動様の御加護をいただけます。
仏教には多くの流れがありますが、全ての仏教が、苦しみ悩んでいる私たちが、どのようにして真理に目覚め仏になることができるかということを追求しています。お不動さまの信仰者は、お不動さまのおさとしにしたがって「奴僕行」の実践つとめねばなりません。「奴僕行」の内容をやさしい形で示したものが「私たちの誓い」七か条です。七か条を日々実践するよう心がけることが、不動尊信仰者の正しいありかたです。
住所 | 〒394-0042 長野県岡谷市成田町1-6-46 |
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連絡先 | TEL. 0266-22-4170 FAX. 0266-75-5880 |
アクセス | 電車の場合: 自動車の場合: |
由緒深く、且つ又、父祖伝来の成田山不動明王の御加護をいただき、当山のますますの発展のために、
ご理解、ご後援、ご協力を賜りたく、伏してお願い申し上げます。
十口(10,000円)につき一本、芳名入り幟旗を境内に1年間掲揚し、除災招福・所願成就をご祈願いたします。
一口につき一本、社名入り幟旗を境内に1年間掲揚し、社運隆昌・商売繁昌・除災招福・所縁吉祥等をご祈願いたします。
© 成田山蓮華不動院